
私はね(^^)
ずーっと前に、どうしても子どもがしている行動がイヤな時があったんだ。
でさ、上手に伝えられないせいもあったと思うのだけど、その時こんな風に言われたの。
お母さんには、無条件の愛は無いの!?
って(;・∀・)
目次
イヤなものはイヤ
何を持って無条件の愛とするのか、未だにわからない。
だけど、なんでも「ハイハイ」言うのがそうじゃないと思う。
なんでもかんでも受け入れられるのが、それでもないと思うんだよね。
未だに「無条件の愛」が何か私にはわからないけれど
私だって傷つくのはイヤ。
してほしくないこともある。
だけどね、私の人生と子どもの人生は別物。
子どもが傷つくことで、親である私が傷つくこともある。
だからこそ、傷つくようなことをしないで欲しいと願うし、しないように阻止したくもなる。
それはエゴじゃない!
と言われたら、たしかにそうなのだろうね。
だけど、イヤなものはイヤなんだよね。
「無条件の愛」という言葉に苦しまないで
親は神じゃない。
傷つくこともあるし、苦しいこともある。
受け入れられることと、受け入れらないことがある。
そんなの、あたりまえだから。
「無条件の愛」という言葉に踊らされて、怯えて、自分に嘘をつかなくても大丈夫。
- 子どものしてることの何がそんなにイヤなのか?
- どう生きて欲しいと願うのか?
- 何を見ていて不安になるのか?
- 考えた方も価値観も違う子どもに対して、どうありたいのか?
- そのために今、子どもをコントロールする以外に何ができるのか?
そんな風に考えてみてね。
イヤなものはイヤでいいからさ。
愛はある
この記事をここまで読み進めているあなたは、少なからずとも子どもへの十分の「愛」はあるよ。大丈夫(^^)
無条件の愛がない!
と突きつけられたら、たじろぐかもしれない。
たじろいでも良いよ。
大丈夫。
無条件なんて、何を持って言うのかはほんとわからない。
ただ、自分にある「愛」を、胸にそっと手をあてて感じてみてね。
きっといつかうまくいく(^^)
荒波も凪もあるのが人生!この世は二極性
だけど人生には、荒波の時も凪の時もある。
それが普通。
うまくいったな。
と思っても、いつまた不安定な気持ちになるかもわからない。
どちらか片方だけということが無いんだから仕方がない。
それが人間の感じ方だから。
あなた自身を、どうこうと決めつけるものでもない。
そして、人生を決めつけるものでもない。
不安や心配は、無いものに意識を向けるから
いろんな出来事があって、不安や心配を抱くこともあるよね。
その不安や心配は、無いものを考えている時。
まだ来ぬ未来を、勝手な法則で予期してそうなっているだけだから。
そうと気づいたら、意識を今に戻そう。
そして「今」何ができるかを考えよ。
無いように見えても、できることを探せばいくらでもある。
その「できること」は、自分を中心に置き考えていこうね。
自分を中心に置くとは、
その目的を自分で理解し、自分で計画を立て実行するということ。
他者をコントロールすることを真ん中に置かない。
得たい望む結果を、真ん中に置かない。
ということ。
言葉に翻弄され、踊らさられないで
無条件の愛にしろ、言葉には人それぞれが勝手な意味やイメージ、ニュアンスを持っている。
だから、そんな言葉に踊らされないでね。
それより今目の前で何が、どんな風に起こっているのかに、目を凝らすほうがずっと解決は早くなるよ(^^)
大丈夫だから(^^)
等身大の自分に戻って
どうか等身大の自分に戻ってください。
- イヤなものはイヤ
- 痛いものは痛い
- 苦しいものは苦しい
- 辛いものは辛い
情けなくても、頼りなくても良い。
そのままのあなたを見せよう。
その方が、子どももずっと「そのまま」でいられるよ。
そして向き合って話し合える親子に、共に育っていけば良いんだよ。
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