いかがお過ごしですか?
私は「反応」を嫌っていました。
子どもへの対応の際は
「反応」がなければ、子どもの話も丁寧に聞いてあげられるのに…
そんな風に、なんども悩みました。
コミュニケーション法などを学んでも、なかなか実践しきれない。
実践しようとすると「反応」が邪魔をする。
だから実践することができず「反応さへなければ」と、何度も思いました。
しかしそもそも「反応」しなければ、コミュニケーション法などを学ぶこともなかったと思うんですよね。
結局そうやって自分で堂々巡りを作り出し、何かしらの渦に飲み込まれていく…
こうなってしまうと、本末転倒。
あなたは、大丈夫ですか?
私と同じように「反応」をイヤがっているとしたら、反応しない自分になろうとしているかもしれませんね。
だけど反応を嫌い反応しない自分になろうとすればするほど、自分がわからなくなります。
血液検査だってなんだって、「反応」があるからわかるんですよね。
反応がなければ、わからないんです。
だけど「痛みを伴う反応」があることが辛いのも、よくわかります。
だけど病気をしたら痛いから辛いから、病院に行きませんか?
診察をしてもらうために、行きますよね?
だけど、この診察。
ただ「どこに支障があるかを観てもらうためだけ」に、行っていると思いますか?
わからないから。不安だから行くと思いませんか?
ちゃんと話を聞いてもらって、何が起こっているかがわかってくると安心してきませんか?
病気がわかって不安になることもあるだろうけど、対応法や今できることがわかることで安心する側面がありませんか?
だからこそ、この「反応が起こる時は、自分の話を聞くタイミング」としてベストと言えるんです。
★「反応」がなければ、子どもの話も丁寧に聞いてあげられるのに…
これは子どもに寄り添いたいのに、より添えなくて困っているんです。
寄り添えないのは「反応」があるからではありません。
何か「痛み」や「辛さ」が、自分にあるんです。
だから、寄り添いきれないんです。
そんな「痛み」や「辛さ」を持ったまま、寄り添えるほうがおかしいんです。
傷だらけの戦士のまま、寄り添うことは難しいんです。
傷だらけの戦士のまま、誰かの力になることは難しいんです。
まずは、自分の痛みや辛さに寄り添う治療が先決です。
何を見て、そんなに痛いのか?
何を聞いて、そんなに辛くなるのか?
何を見たくないのか?
何を聞きたくないのか?
それを見て、聞いて、何を感じたくないのか?
そこに、どんな意味を作っているのか?
それが自分に、何を見せつけてくるのか?
何を感じさせてくるのか?
こんな風に先に、自分に寄り添う必要があるんだと「反応」は教えてくれているんです。
その声に耳を傾けてみてくださいね。
細かなニュアンスも含め、本当の意味であなたの声を聞いてあげられるのは、あなたしかいないんです。
この声を聞くために「白紙のノート」が役に立ちます。
白紙のノートを開き「答え」を求めるのではなく、その声たちをただ書き出すところから始めるんです。
変に
「答え」を出そう。
欲求を見つけよう。
価値観を見つけよう。
あの子の役に立つ私になるためにしよう。
今の苦しみから逃れるためにしよう。
幸せになるためにしよう。
としている間は、なかなか本当の声が聞こえてきません。
分析や仮説立て、選択肢を出し行動を起こす。
これらは、とっても大切な要素です。
だけど、それは自分の声をしっかり聞いた後で良いんです。
順番があるんです。
大袈裟に言うと「分析や仮説立て、選択肢を出し行動を起こす」をしなくても、しっかり自分の声を聞き取れたなら、自然とこれらができるようになります。
その時、間違うこともあります。
だけど、その度に自分の声に寄り添うことができたなら、どんどん「分析や仮説立て、選択肢を出し行動を起こす」も研ぎ澄まされていきます。
ですから、
・うまく行かないな
・やる気が起きないな
・むしゃくしゃするな
・辛いな
・悲しいなぁ
・悔しいな
・情けないな
そんな「イヤ」だと思えてくる「反応」がある時は、白紙のノートを開きそのままの「声」をなぐり書きしてくださいね!
もうほんと、そのまま書けば良んですよ。
先日のセッションで、その話をすると
そんなので良かったんだ!
とおっしゃる方がおられました。
良いんです(^^)
はぁ?
なんやねん!
うっとおしい!
う~~~!!!
ああ~~~~!!
も~~~!!
そんな意味不明な言葉の羅列だって、全然構わないんです。
5分で、1日で解決しようとしないでください。
何十年も貯めてきた自分の声、もっとちゃんと聞いてあげてください。
う~~~!!!
ああ~~~~!!
も~~~!!
とか書いてたら、どんどん言葉にならないものになる時もあるんです。
線・点・ばってん・ぐちゃぐちゃ…etc
書きたくなるものを、そのまま書いてください。
そんな時は、そのまま書けば良いんです。
後で、読み返すことはできなくなりますが、
破りたくなったら破れば良い。
捨てたくなったら捨てれば良い。
きれいに残そうとしなくて良いんです。
ちゃんと自分を出してあげてください。
良い子になろうとしなくて良いんです。
てか、良い子にならないでください。
結構人は、ゲスです(^_^;)
私も結構な、ゲスです(^_^;)
それで良いし、それで大丈夫なんですよ(^^)
こちらの記事も参考にしてくださいね(^^)
書くことを、自分を苦しめる材料にしないために
https://yattemiblog.work/20210107/like-myself/0914/
今日も読んでくださってありがとうございます。
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自由な自分を生きる
自分快適コーチ 栗田野愛