人生の主導権を握るのはいつだって自分自身
叶えたい夢がありますか?
望む未来がありますか?
それを手に入れられると思いますか?
手に入れられないと思えますか?
もし、それを手に入れるのが難しい
私には無理だ…
と感じるなら、
その理由を自分に聞いてみて(^^)
すると
私には特別な能力がないから
私にはわからないから
私は病気だから
あの子がいるから
あの人は他者をわかろうとしないから
といった言葉が出てくるかもしれません。
そんな時は
変わらない
動かない
を自分が「選択」してるんだよね。
だってね、
人生の主導権はいつだって自分にあるんだもん(^^)
今は、変わらない。
今は、動かない。
それを選択したいんだよ。
意図的な選択に変える
なんか、こんな風に書くと
変わらないあなたがダメ!
とか
動かないあなたがダメ!
という風に読み取れるかもしれない(^.^;
だけど、そんなことはありません。
変わらない事が大切な時もあるし、
動かない事が大切な時もあるから(^^)
自分を
一般常識的なことで一刀両断すると痛いよ(^.^;
内なる自分が「切らないで~!」って言ってるからね。
だから、ここでよ~く観て欲しい。
もしも、もしも、もしも
自分が
変わらないと
動かないと
選択しているのだとしたら
それはどうしてだろう?
そんな風に自分に聞いて欲しい。
その答えがすぐ見つかる場合もあるし、そうじゃない場合もあるけど
必ず自分の中から答えが出てくる。
答えが出てきたら、主導権を自分に戻した言葉に変えてみよう。
意図的に生きられるようになるよ(^^)
意図的に生きると力が戻る
ただ気をつけるポイントがあるよ!
それは、こういった言葉を作る時、
無意識に「犠牲者言葉」をチョイスしてないかってこと(^.^;
例えば
『あの人が話を聞こうとしないから、私にはできない』
という場合に
『あの人に私の話しを聞いてもらえないから、私はしない』
となると「犠牲者」のまんま(^.^;
声に出して読むと、わかりやすいよ(^^)
ここでのポイントの1つとして「られた」という言葉は、
結構「犠牲者を生きている時」に使っていることが多いので、チェックしてみてね。
主導権を握り返した例としては
『あの人とともに生きるために話し合ってから、私は始めたい』とかね(^^)
あくまでこれは一例ね。
当人の『本当の目的』によって言葉は変わるから、一概に、こうだよとは言えないんだよね~(^^)
自分の言葉を探そうとしてるだけでも、人生の主導権は徐々に自分に戻ってくるから、焦らずゆっくり確認しながらしてみると良いよ(^^)
意図的に生きるとは、自分自身の「欲求」が明確になること。
だから意図的になろうとしているだけでも、自分に力が戻ってくるから!
自分を生きる自分を諦めない
フィードバックコーチ
栗田野愛(^^)